熊谷寺の山門の東隣にある稲荷神社が、通称「奴稲荷」と言われている社である。江戸末期、歌川豊国が錦絵「中山道熊谷宿熊谷寺子育奴稲荷社之図」として歌舞伎役者・団十郎の姿を描き、有名になった。奴稲荷は別名・弥三左衛門稲荷とも言うが、それは熊谷次郎直実が戦場にありし時、弥三衛門と名乗る者がどこからともなく現れて加勢してくれたことから、稲荷の化身と思った直実公が館内に祀って信仰したという話からきている。
また病弱な子どもが丈夫に育つように祈願して、弥三左衛門稲荷の家来(ヤッコ)として一定期間勤めさせる行事があった。子どもの両ビンの毛を奴のように残して勤めに入り、無事に年期が終ると両ビンの毛を切って社前に納め、御礼をしたという。この年期中はご家来にしたのだから、親も勝手に子を叱ることができなかったという。
この社は直実公にまつわる逸話を伝える社で、さらに熊谷の子育て習俗と結びついた社であったから、かつてはお百度参りもあり、市内外の厚い信仰を受けていた。幕末までは熊谷寺境内にあったが、明治2年に鎌倉町の愛宕神社内に遷し、明治31年に現在地に遷された。
―――第2話で奴稲荷のことが書かれています―――
熊谷の昔ばなし(熊谷市立図書館刊)より抜粋
郷土の雄・熊谷次郎直実展 資料 直実 連生11話
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