地元の有志・三枝、青木、柿原の三人が創業した三木原製糸を明治40年に片倉組が買収して石原製糸所を開業した。これが後の片倉工業褐F谷工場である。熊谷の蚕糸業は、周辺のまゆの生産が盛んであったこと、良質の水が豊富であったという好条件によって発展したものである。明治期から昭和の戦前期までは生糸の街として知られたが、昭和50年以降、貿易の自由化によって製糸業は打撃を受け、蚕糸業そのものも崩壊の一途をたどってしまった。
片倉工業も平成6年12月に生糸の生産を中止し、工場の建物も同11年に取り壊され、12年には広大な敷地を片倉フィラチャー(フィラチャーは製糸場を意味する英語)と名付けて、サティを開店し、敷地の一角には片倉シルク記念館を開館して、製糸業の姿を後世に伝えることに役立っている。
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