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『3.11熊谷チャリティーウォーク』
義援金を宮古市に寄付いたしました。
ー宮古市活動報告ー
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2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災された皆さまに、
心からお見舞い申し上げます。 ―――――――――――――――――――――――――――――――
2012年4月9日に大和屋188周年記念イベント実行委員会のメンバーが岩手県宮古市を訪問し、『3.11熊谷チャリティーウォーク』の義援金118,800円、当日会場に設置された募金箱13,274円、2011年12月3日〜11日にくまがや館2階ギャラリーにて開催された『東日本大震災支援 チャリティ作品展』の売上の一部をあわせて岩手県宮古市に寄付致しました。
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2012年4月9日(月)、午前4時に熊谷を出発し、
東北道にて岩手県宮古市を目指しました。
道路は整備されており、順調に進みました。
同日、午前11時に宮古市に到着しました。
宮古市役所にて義援金を納めました。
市役所では財務課の野崎課長が応対して下さいました。
震災当日は野崎課長も勤務をしており、
「市役所の4階から海を見ていました。湾内の海水が
一旦引き潮により無くなったことを確認し、ただ事では無い事を察知して
市役所前に停めてあった自家用車の移動をあ諦めました。」と
当時の状況を話されました。
宮古市役所の2階近くまで津波により水没しました。
水没した時間、午後3時24分で時計が止まっています。
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野崎さんの御好意で市内を1時間半案内していただきました。
宮古市役所前の防波堤。
この堤防を津波が乗り越えてくるところを
テレビで何度も放送されました。
海岸線はほぼ全域で被害を受けていました。
宮古市では「建設業者の被害がなかったため比較的、復興は早い」と
野崎さんは話されましたが、ガレキが整理されている程度でした。
橋の上から見る限り、とても穏やかな海ですが、
橋の反対側は、建物の基礎部分だけが残り
津波の被害を受けたのがわかります。
田老地区は宮古市で被害が一番大きかった地区です。
「防潮堤があることにより、
安心感があったことが被害を拡大させてしまった」と野崎さん。
『津波てんでんこ』という言葉があるそうです。
「津波の時は、人のことは気にせず自分が安全な場所に避難する」
「これは人のことを気にして、戻ったところで被害にあう事が多いため、
昔から言い伝えられている言葉です。」と説明を受けました。
野崎さんはこの場所に立ちながら、
「今までここに何があったのか思いだせない。今回の震災の経験も
時と共に風化してしまう事が心配」と話していました。
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今年の3月末にオープンした
『道の駅みなとオアシス みやこ・シートピアなあど』を
案内していただきました。
プレハブでの営業ですが、お客さんも来店し活気がありました。
漁業は8割位にまで立て直してきていますが、
加工工場の復旧はまだまだ遅れており、
名物のいかせんべいも手で焼いている状況です。
被災地では徐々に日常を取り戻してきています。
しかし、まだまだ支援が必要です。
そのために、私たちは『忘れない』ことが重要だと感じました。
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ご参加・ご協力くださいました皆様に感謝しますとともに、
被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。 |
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