旧妻沼町は、昭和53 年に、妻沼聖天山の開創800 年を記念して、開祖とされている斎藤別当実盛公のゆかりの地を巡る「斎藤別当実盛公遺跡探訪遊歩道」を創設しました。その後、平成8
年にリーフレットが作成されるなど、注目を集めてきました。この遊歩道は、歓喜院貴惣門を始点として、歓喜院聖天堂、歓喜院本坊、氷川神社(弥藤吾)、斎藤塚(弥藤吾)、実盛塚(西野)、長井神社(西野)、椎の木(八ツ口、長昌寺)、大我井の杜(
妻沼) までの文化財や寺社などをめぐる全長約8 kmのコースであり、その他にも寺門静軒が開講した塾舎があった「両宜塾跡」や、善光寺式の「板石塔婆」などの指定文化財を目にすることもできます。現在でも楽しむことのできる遊歩道のPR
に向けて、リーフレットをリニューアルしました。また、熊谷デジタルミュージアムで公開しています。妻沼の歴史や風光明媚な景色を楽しむことのできる遊歩道を探訪してみてはいかがでしょうか。
「斎藤別当実盛公遺跡探訪遊歩道」リーフレット(PDF:1.39MB)
歓喜院聖天堂
平安時代末期に斎藤別当実盛が大聖歓喜天をまつったのが始まりと伝えられる聖天堂は、宝暦10年(1760)に完成した江戸時代中期を代表する彫刻建築です。奥殿を中心に、壁面や各部材は精巧な彫刻で埋められ、置上彩色という高度な技法をもちいながら極彩色の彩色がほどこされました。棟梁は妻沼の林兵庫正清とその子正信で、幕府や大名、豪商の援助を受けた記録は残されていないため、庶民の力によって再建されたと考えられています
貴惣門
屋根の妻側に破風を3つ持つ特徴的な切妻造の門で、聖天堂完成から約100年後の嘉永4年(1851)に完成し、棟梁は林正清の子孫林正道がつとめました。聖天堂建築中、利根川の普請を行っていた岩国藩の藩士長谷川十右衛門は、京都の禁裏大工に師事し、錦帯橋の作事棟梁をつとめた人物で、林正清と親交があり、正清あてに貴惣門の図面を送っています。
斎藤別当実盛館跡
斎藤別当実盛は、源為義・義朝に仕え、保元・平治の乱で活躍した後、源氏の敗戦と共に平氏に属し、現在の妻沼地域に該当する長井庄の庄官を務めました。この史跡は、斎藤氏の館跡と伝えられ、隣接する塚に板石塔婆一基が残っています。現在、斎藤別当実盛館跡史跡保存会によって管理が行われています。 |