「カーン、カーン。」市内上中条に位置する鎧塚古墳の発掘調査開始の杭打ちが始まりました。発掘調査は、まっすぐなトレンチ(土の埋まり方や遺構の概要を知るための試掘溝)を入れるために決まった方位と距離を保って杭を打つことから始まります。
「ここに打とう」と決めた最初の杭が、これ以上にない、実に奇跡に近い都合の良い位置で、この発掘調査の成果を大きなものにする原因となるとは、この時、夢にも思っていませんでした。当地は、地上から見ても古墳があるなんて想像もつかない、一面真平らな水田地帯の中だったのです。
しかし、杭は水田下に埋もれていた鎧塚古墳の後円部のど真ん中に打ち込まれたのです。
先ず、この杭を中心に東西南北十字にトレンチを入れたところ、なんと北・東・南同じ距離で古墳の縁辺部に埴輪列がほぼ20cm間隔で出てきました。直径31.8mの円墳であることがわかったのですが、西側が出てきません。「おかしいなー」と思いながらさらに西へと掘り進めると、円の外12mで直線となる墳丘の終わりが見つかったのです。
「すごい!前方後円墳だよー」なんと、当地では初めての発見となる「帆立貝式前方後円墳」が現れたのです。昭和54年夏8月のことです。 |