光に働きかけて熊谷県誕生に尽力したことでも有名です。教育面でも渋沢栄一らと協力し、育英事業にも貢献しました。初代の県議会議長となり、産業・土木面でも大きな功績を残しました。
澹如は、慶応年間に鎌倉町に別邸を置き、池亭と回遊式庭園を設けました。ここには、昭憲皇太后や大隈重信、徳富蘇峰などの名士が来遊し、現在は市指定名勝『星溪園』となっています。また、荒川の氾濫を防ぐため万平出しを築き、現在もその形跡が残されています。その地は万平公園(万平町)となり、その園内には、澹如の功績を讃えた市指定史跡「竹井澹如翁碑」(左写真)を見ることができます。大正元年(1912)、澹如は、73歳で永眠し、熊谷寺に葬られました。その後、墓地は市内大原に移動され、『竹井澹如墓』は市指定史跡となりました。今でも多くの参拝者が訪れています。 |