荻野吟子は、寛永4年(1851)現在の妻沼町大字俵瀬に生まれました。幼児より聡明で、儒学者の寺門静軒が開設した両宜塾で学び、松本万年(ばんねん)に師事します。
18歳で結婚しますが、不慮の病に侵され2年後に離婚。この治療の際の屈辱的な体験により女医の必要性を痛感し、医師となることを決意します。
当時、女性には医師の道は閉ざされていましたが、数々の困難を克服し、明治18年医術開業試験に合格、日本公許登録女医第1号となり、35歳で東京の本郷湯島で開業しました。
後にキリスト教活動で知り合った志方之善と再婚。2人で理想郷建設を夢みて北海道に渡り瀬棚町で開業しましたが、夫の死去で東京へ戻り、医院を開業。63歳(数えどし)で永眠しました。
その波乱に富んだ生涯が直木賞作家・渡辺淳一の小説「花埋み」、NHKテレビ「風雪」や舞台「命燃えて」で広く世に紹介され、その愛と不屈の根性を慕って、利根川の堤防下に建つ「荻野吟子生誕之地史跡公園」を訪れる人があとを絶ちません。 |