熊谷から寄居に掛けての地域を「大里」と呼び、熊谷市の一部を構成し得ている大里地域(旧大里町)や、大里郡という文字を目にすることがあります。この「大里」という文字、なんと読むでしょう。「オオサト」と言うことが一般的ですが、実はこの文字は、以外と古くから使われてきた地名です。
地名は、ある範囲を区切るとき使う言葉の約束から始まったようで、土地と人の生活が深く結びついてきた米作りの時代(弥生時代)から進んできたようです.ですから地名の由来には、ある出来事にかかることや、平安や豊かな稔りなど、時代の人々の想いがこめられています。
『大里』は、千三百年ほど前、奈良時代には荒川の周辺を呼ぶ地名として、使われていました。現在と同様に、行政区分の名称として「大里郡(郡は、コオリとも読まれた)」と当時の記録に残されています。これは、当時の土地台帳に当る文書で、武蔵国大里郡坪付と呼ばれ、荒川周辺の地名が書かれています。
「大」は人や物事をするとき使い、「里」を強め讃える言葉となり、「里」は田を整然と区分した様子をいい36坪を一里としていました.「里」は古代の圃場整備として行われた条里制により、一里は約640〜650m四方の広さがありました。
『大里』の名は、荒川の流域に果てしなく続くと思われた、みごとな水田地帯に鍬を入れ、豊かな稔りを願った人びとの想いが、目の前の風景と重り、(大いなる里)と呼んだのでしょう。 |