目のトラブルで、おりおり写真紀行もかなり間欠してしまった。今回は群馬県、埼玉県の名高い桜を紹介することにした。
古来、桜に特別な想いを持ってきたのが日本人。わたしは著書の取材で関東周辺の桜を撮影して回ったが、桜に纏わる逸話、伝説、史話などにふれることも多かった。
桜がわたし達の生活や文化、風俗に密接に結びついていることも知った。 |
「木の下は汁もなますもさくらかな」芭蕉句碑が境内に立つ高崎市下滝町にある滋眼寺。古くからシダレザクラの名所として知られている。
このシダレザクラには逸話がある。享保(1716〜1735)の頃、前橋城主酒井少将阿波守が、このサクラを大変気に入って、境内から一本のサクラを城内に移植したが、何年経っても花一輪付けなかった。また、夜になると、滋眼寺に帰りたいと夢枕に立つようになり、寺に返したそうである。久し振りに寺に帰ったサクラは、元気に花を咲かせた。このサクラが少将桜と言われ、今でも境内の西側にある。 |
沼田市中発知町に樹齢500年と推定されるヒガンザクラが美しい樹形で聳え立っている。
発知地区は寒冷地であるためサクラの開花は遅く、例年4月下旬頃にならないと花見はできない。この頃が苗代作りの時期と一致することから「発知の苗代桜」とも呼ばれ、地元の人々から親しまれてきたそうである。 |
みなかみ町(旧月夜野町)の「上津の姥桜」は、悲しい伝説に包まれた老樹。沼田氏六代上野介景光に如意という美人の姉がいた。後花園天皇の寵愛を受けたが周囲の妬みが強く、帰郷。その時、京から持ち帰って植えた苗がこの姥桜。推定樹齢500年と言われている。現在の樹は古木の根元から発芽した二代目。 |
みなかみ町相俣(旧新治村)に谷川連峰を背にした景観の美しい赤谷湖がある。その畔にあるのが、年輪を重ねた老木、「相俣のさかさ桜」だ。
史話によると、天文11年(1552)の春、上杉謙信が関東に出兵した時、日枝神社に参拝し、持参したサクラの鞭を境内に逆さに挿して出陣の幸先を占った。その後、不思議にもすくすくと育ち、成木したのが「さかさ桜」命名の由来だそうである。 |
北本市石戸宿の東光寺境内に日本五大桜の一つ「石戸蒲ザクラ」がある。昔は4本の大きな幹に分かれ、根元の周りは11メートルあったと言われている。現在の蒲ザクラは二代目で老木を株分けしたものである。 |
因みに、日本の五大桜は、石戸蒲ザクラ、福島県の三春の滝桜、山梨県の山高の神代桜、静岡県の狩宿の下馬桜、岐阜県の根尾谷の淡墨桜。 |
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