彼岸を過ぎても寒さが続き、被災地の皆さんの苦労は計り知れないものがあります。被災地の瓦礫の映像は季節の移ろいも止めてしまったようです。
4月の記事はどう書こうかと悩んでおりましたときです。読売新聞3月25日朝刊の「編集手帳」の文に感銘しました。全文を紹介し、今回の記事の前書きにしたいと思います。
「編集手帳」2011.3.25
大正期の詩人、山村暮鳥に「桜」と題する詩がある。<さくらだといふ/
春だといふ/一寸、お待ち/どこかに/泣いてる人もあろうに>◆詩人は
伝道師として東北地方の町々を転任した経歴をもつ。今回の巨大地震で
被災した福島県の地名を織り込み、雲に<ずっと磐城平の方までゆくんか>
と呼びかけた詩(『雲』)も知られている。サクラの詩は、東北の人情と風物を
こよなく愛した人が今日のためにあらかじめ書き残した挽歌のようでもある。◆人を悼む心が花にもあるのか、今年はサクラの開花は遅めというが、
それでも四国や九州はから、ぽつりぽつりと花便りの届く季節を迎えた。
◆花に浮かれる心をたしなめて「泣いている人」を思いやった暮鳥の優しさにうなずきつつ、だが――とも思う。生き残った者の誰かしらが、生かされてある者の誰かが世の中の歯車を動かしていかねばならない。音は小さくとも、季節の催事も”ガッタン”と刻む歯車の一つだろう。◆この春、多くの人が愛でるのは、花ではなく、酒でもご馳走でもなく、生きてある身のありがたさに違いない。宴の筵で、そういう供養もある。
個人の庭でサクラを見たいという思いから、何本も植えました。成長が早い木ですから10年も経つと、枝が伸びすぎ病害虫の防除もし難くなりました。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺がありますが、高さを抑えるために剪定を加えています。小ぶりなサクラの木々ですが、毎年楽しみにしています。 |
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