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何だろうコーナー |
車を運転している時、ふと見ると大きな木がありました。説明書きのようなものもあるし、何だろうと思い調べました。そこで第八回目は、一里塚を取り上げます。 |

一里塚 |
これなんだぁ?
これ、ただの木ではないんです。熊谷市内で唯一残っている一里塚なんです。この一里塚は新島の中山道の東側にあります。一里塚は1604年、江戸幕府が江戸日本橋を起点に東海道・中山道などの主要街道沿いに、一里(約4キロメートル)ごとの目印として設けたものです。 |

旧中山道沿いにある一里塚 |
この一里塚は中山道の起点である日本橋から17里(約68キロメートル)を示すものです。
17号を熊谷から深谷方面に進み熊谷警察署前から約500メートル進むと、二股に分かれます。そこを左に進み約250メートル進んだ右に一里塚があります(地図)。昔は道の両側にありましたが今は片側しか残っていなません。この欅は高さ12m、幹の周り3.6m、樹齢300年以上の大木は、歴史を感じさせます。 |
・ 昭和29年11月3日に熊谷市指定文化財に指定されました。
・ 一里塚は通常、一地点に一基ですが、道の両側に二基造られることもあ り
ました。また、場所によっては榎の代わりに、松、杉、欅、槐、檜なども 植え
られました。
・ 旅行者にとって一里塚は距離や乗物賃支払いの目安になり、またその木 陰を休憩の場としても活用しました。
・ 家康が「ええ木を植えよ」と指示したのを家臣が「榎を植えよ」と聞き間違
えて榎になったという話があります。 |

一里塚の説明書き |
久下新田にも14里を示す一里塚後が土手下にあります。当時は両側にあったそうですが堤防拡張のため無くなり、今は案内板と祠があります。中山道は土手の中腹あたりに通っていたそうです。
今回紹介した場所以外にも一里塚は残っています。まずは近場から訪ねてみてはいかがでしょうか。 |
取材日:2005年11月24日/取材記者:みいちゃん |
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