○石原吟八郎
花輪村(現在群馬県みどり市東地区)に誕生した彫刻師集団のリーダーとして、聖天堂の工事に携わったといわれている人物。花輪村彫刻師集団の歴史は「勢多郡東村誌通史編」に取り上げられています。
「東村の彫刻及び彫刻師たち」の項で、活躍した彫刻師たちの手掛けた寺社が紹介されていますが、石原吟八郎の手掛けた寺社の記述はありません。一方、弟子の関口文次郎が活動していた隣村上田沢村(現在群馬県桐生市黒保根地区)の歴史を取り上げた「黒保根村誌」に「吟八郎の出世作は、享保9年に造営された本庄金鑽神社であった。同16年には師匠の高松又八に従い日光東照宮の修繕に当たっている。そして、妻沼聖天宮の彫刻に手をかける頃から病を覚えるようになった」とあります。
現在、青蓮院(桐生市)本堂の内部欄間の彫刻が吟八郎の作であると、『延享元歳(1744年)甲子九月吉日 東上州 花輪村 彫物師 石原吟八郎義武 彫之』と銘文が残され明らかにされています。
本堂外陣欄間彫刻 龍の丸彫り
○関口文次郎
「黒保根村誌」に彫刻師関口文次郎の項があります。「少年時代に早くも隣村花輪村に住む石原吟八郎の門人となり、武州妻沼聖天宮の造営に当たって師匠を手伝った。宝暦2年、妻沼聖天宮本殿の完成に仕手(弟子)の立場であるが、師匠の片腕となるほに技術を高め、納得のできたものであった」と記されています。数多くの寺社建築に関わり、桐生天満宮はその代表作の1つです。
桐生天満宮幣殿左側花窓「龍二態」
○左甚五郎
伝説の彫刻師です。日光東照宮の「眠り猫」はあまりにも有名です。
江戸の彫刻師の系譜には、必ず「左甚五郎」を始祖としています。実在したのでしょうか。現在も実在説と伝説に分かれています。
聖天宮の彫刻の内、奥殿南側の大羽目彫刻「鷹と猿の図」に甚五郎伝説がありますが、日光東照宮の「眠り猫」から100年後のことですから、もし実在していたとしても無理なようです。関口文次郎は「上州の甚五郎」との異名もあるほどの名人だったことから、聖天堂の彫物が伝説化したのでしょう。
日光東照宮の「眠り猫」
聖天堂「鷹と猿の図」
○甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡
著者 ガイドボランティア「阿うんの会」の専任講師の阿部修治さん。
さきまた出版会H23.8.22 1,890円
○妻沼聖天山 歓喜院聖天堂 彫刻と彩色の美
撮影・構成 若林 純さん、本文監修 窪寺 茂さん
平凡社 H23.8.23 2,100円 |