妻沼聖天山の北西、約600メートル先の小さな神社。古墳といわれる小高い丘の上に社殿が建っています。旧妻沼町誌(昭和3年発行の復刻版)に『摩多利堂』とあり、「本堂は歓喜院持にして大塚に在り樹木鬱蒼として古色を存す疫病除の尊天として、諸人の信仰甚だ厚し」と記されています。
彫刻の施された社殿は、トタン塀で覆われた社と違い、風格があり、当時の信仰の熱さを感じさせます。
このコーナーの第3回で簡単な紹介をしたのですが、なんとも不思議で興味の尽きない神社ですので、再度取り上げました。
春の例祭
4月24日、聖天山歓喜院のご住職をお迎えして、春の祭礼が執り行われました。
一応神社ですが、祭典は宮司さんではなく、お寺の住職さんが執り行います。神仏習合した時代のまま受け継がれてきたのです。また、現在でも、神社は歓喜院の管理になっています。
社殿
歓喜院ご住職の法話風景
神社の由来
旧妻沼町誌は、由来不詳と記されています。現社殿は江戸時代後期のものと思われ、社殿内に保管されている木製の灯篭に文化5年(1808)新吉原の丸海老屋奉納と書かれていることから、江戸時代に摩多利神信仰は広がっていたのでしょう。
奉納された灯篭
祭神の不思議
祭神は3面六臂の恐ろしい姿です。
個人所有の掛け軸
インターネットなどで調べると、『摩多羅神』とあり、密教の伝来とともに伝わった仏教の守護神。もとはインドのヒンドウー教の神マハーカーラ。マハーは「大いなる」カーラは「黒、暗黒」を意味し、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れる。仏教に取り込まれて大黒天と呼ばれ、更に神話の神様大国主命となる変化の神様です。
「ようするに大黒様のこと?大国主命のこと?」なかなか納得できないで調べを続けていましたら、この疑問に応える調査報告書が熊谷市立熊谷図書館にありました。
埼玉民俗第36号(平成23年3月31日発行)に『摩多利神と摩怛利神 利根川流域を中心とした疫病神について』と題した矢嶋正幸さんの寄稿文が掲載されていました。護持してきた関係者が驚いてしまうほど、現地調査や多くの資料を駆使された内容でした。興味のある方は是非ご覧になってください。摩多利神社と摩多利信仰の実像に迫るものです。
文化財の指定された建造物などは、調査が行われるのですが、無指定のものや民間信仰などは、どんどん消えてしまいます。なんとか保存し継承していきたいですね。 |