「めぬま歴史の道」て、どこにあるの?
平成24年2月に改訂された、熊谷市教育委員会発行のパンフレット「坂東武将斉藤別当実盛公遺跡探訪遊歩道」に載っていました。
昭和53年4月に「実盛公遺跡探訪遊歩道」が創設され、平成8年県の補助を得て、めぬま歴史の道遊歩道や観光トイレなどが、整備されたとありました。
早速、図書館で広報誌縮刷版で調べると、平成8年が聖天山のご開帳の年で、その記念事業として、総事業費1億1054万3000円(内県補助金5400万円)をかけた事業で、遊歩道の整備に、4118万6000円が使われていました。
折角の改訂されたパンフレットですが、遺跡の紹介が主で、遺跡を結ぶ歴史の道(遊歩道)についての記述はなく、事業の概要を知ることができません。
この遊歩道整備事業の目的は、めぬまの歴史をたずねる道「森と水と音の回廊」でした。住民も事業を実施した行政も、16年も経つと忘れてしまうのでしょう。
今回は、めぬま歴史の道遊歩道を歩いてみました。
案内看板
聖天山境内の北側、境内を取り囲むように「芝川」という名の用排水路が流れています。
この芝川の側道が、境内北側から西側に回りこみ、県道深谷妻沼線を横断して、国道407号の側道部に取り付きます。おおよそ1キロほどでしょうか。
案内看板のスタート地点からの遊歩道
親水性を配慮?
交差する県道深谷妻沼線を渡り、区画整理事業で整備された住宅地を通過し、国道407号と県道太田熊谷線を結ぶ市道を渡り、稲田を見ながら、屋敷林の裏にでます。その裏側に、水に親しむ環境を作ろうとしたのでしょうか?川辺に数段の階段が設けられています。
コンクリート境界壁の絵
隣地との境界壁に妻沼観光スポットのイラストが描かれていますが、色落ちしてしまって残念ですね。整備された頃は、見学者もいたのでしょう。
国道407号側道接続箇所
案内看板には「彩の国芝川遊歩道」とあります。2つの名前を持っているのでしょうか? |