熊谷市妻沼中央公民館主催の『平成24年度くまがやを学ぶ講座』に参加しました。この講座は、渡邊崋山(わたなべかざん)・寺門静軒(てらかどせいけん)・奥原晴湖(おくはらせいこ)や文人・歌人・俳人など熊谷を訪れた歴史的人物にスポットを当てて紹介し、ゆかりのある場所を巡り、ふるさと熊谷の歴史・文化に親しみ、理解を深めることを目的に開催されました。
講座で紹介された文人たちの多くは、妻沼聖天山との関わりも深く、このコーナーで順次取り上げてみたいと思います。
今回は、講座の第4回目で紹介された中の、あじさい寺で有名な能護寺の格天井や板戸の絵画、能護寺で開かれた『雅会』及び太田村(現熊谷市太田地区)の画家たちにスポット当ててみました。
第4回目の講師鈴木進氏の講義内容と、提供していただいた資料を基に作成しました。
(鈴木進氏のまとめられた『能護寺書画詩歌俳諧雅会調査報告書』平成21年9月を参考)
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●能護寺
ご存知のとおり、能護寺は『あじさい寺』として県内外から訪れる人の多い、有名な寺となっています。
簡単に紹介しますと、寺の名称は、高野山真言宗能満山能護寺といい、天平15年(743年)に鎮護国家の勅願道場として行基上人が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられています。
本堂は、寛政7年(1795)に焼失し、その後再建され、いく度かの修復が行われ現在に至っています。 |