●奥原晴湖のプロフィール
『奥原晴湖』という名前を聞いて、その実績や経歴を即答できる人は、少なくなっているのではないでしょうか。
古美術や日本画の愛好者の中では、高い評価を得ていて、特に熊谷地域ではその作品を収蔵している人たちも数多くいます。
それでは奥原晴湖を簡単に紹介しましょう。
天保8年(1837年)に古河藩(現在茨城県古河市)の藩士池田政明の四女として生まれ、17歳の時に関宿藩奥原家の養女となり、江戸に出て画家としての道を目指します。29歳で画室『墨吐煙雲楼(ぼくとえんうんろう)』を構え、晴湖と号します。
明治維新の動乱期に、女流画家として活躍し、南画界の第一人者となりました。その後、古河藩領の上川上村(現在熊谷市)に、交流のあった稲村家を頼り移住し、新たな画室『繍水草堂(しゅうすいそうどう)』を建てて、大正2年に亡くなるまで、22年間この熊谷の地で創作活動を続けてきました。 |