急な石段の上には観音堂
観音山の目印の電波塔
立派な観音堂
観音堂の天井 |
観音堂
“関東88ヶ所霊場83番”の赤い幟のはためく立派な仁王門をくぐり、急な石段を登ると、重厚なすばらしい観音堂に達します。観音堂裏手の散歩道を登ると5分ほどで鉄塔の建つ山頂に達することができます。松、クヌギ、楢などの木々に覆われており、山頂には神名を刻んだ板碑がいくつも建てられ、昔は信仰の山であった痕跡が感じられます。
自慢その1
この山は河川が削り残したため生じた丘、残丘です。深谷市の仙元山、岡部町の山崎山などと同種の山です。観音山は低山ですが、日本中で他に例を見ない極めて希有な特徴を持っています。小さな山頂に三角点が二つ並んでおり、しかも二つとも一等三角点です。
埼玉県には一等三角点の山は城峯山、雲取山、三宝山、堂平山、物見山、そしてこの観音山の六ヶ所しかありません。一つは山頂部の一角にある77.4メートル三角点。そしてもう一つの97.5メートル三角点は山頂の電波塔の上に設置されています。三角点は必ずしも大地の上に設置されるとは限りません。人口建造物の上に三角点を設置する例は静岡市役所本館の塔上に設置された例がありますが珍しいです。しかも観音山はその一等三角点が二つもあるなどは例が無いことではないでしょうか。
自慢その2
観音山の2つめの自慢は中腹に伽藍を並べる少間山龍泉寺があること。関東88ヶ所霊場83番の真言宗の寺です。
聖武天皇のころ(724〜48)の開創と伝えられ、一般に三ヶ尻の観音さまと親しまれています。山門は天保4年、鐘楼は明治初年、水屋は明治14年の建立です。一見の価値のある立派な寺です。
自慢その3
3つ目の自慢は、江戸時代末期の学者にして有名な画家でもある渡辺華山(1793〜1841)ゆかりの寺であること。天保2年、幕末の志士渡辺崋山は主君三宅藩の旧領地である当地三ヶ尻を調査のため訪れました。華山は龍泉寺に約20日間泊り三ケ尻の名の起り、地勢、・産物・祖税・人情・風俗・旧跡旧家等を調べ、これを訪?録(ほうへいろく)三巻に著しました。この折に描いた書や仁王門の松図格天井絵・双雁図の絵が現在も龍泉寺に残されています。いずれも埼玉県の指定文化財です。 |