灯ろうを流している風景
(写真提供:熊谷市役所様)
戦災者慰霊之女神像
星川通り |
灯ろう流しの始まり
1950(昭和25)年、墨の江自治会の方々が中心となり鎌倉町から下流の清水橋までの自治会に呼びかけ、星川保勝会が結成されました。戦災の翌年から有志の方々で灯ろう流しを始めていましたが、1950年からは星川保勝会と熊谷市仏教会の共催で行われるようになりました。 毎年8月16日送り盆の夜に行われ、「戦災者慰霊の女神」の前に祭壇が組まれ読経が行われ星川に灯ろうが流されます。
戦災者慰霊之女神
長崎の「平和祈念像」で有名な彫刻家・北村西望氏作の「戦災者慰霊之女神」の像が建っているのを知っていますか?意外に地元の人は知らないかもしれません。この像は戦災慰霊の記念として1975(昭和50)年に建てられました。戦争や空襲を風化させないためにも是非足を運び鑑賞して下さい。
星川について
星川は1623(元和9)年、荒川の氾濫で星渓園にできた池(玉の池)の湧き水を源としていました。この川の水はとても綺麗だったため染物を洗ったり、子供たちの遊び場になっていたそうです。
曲がりくねっていた星川は、1953(昭和28)年に戦災復興土地区画整備事業により4メートル幅のまっすぐな川になりました。1955(昭和30)年代の渇水により、300年来の湧き水もなくなり現在は荒川から農業用水を導入し市の中心地を東西に流れています。 |