
工房
昭和20年8月14日熊谷大空襲で焼かれ、
戦後建て直した工房。夏場工房内は35℃を
越えるが染料がすぐに乾かないように
湿度を80%にする。 |
染色は熊谷伝統の地場産業
熊谷には古くから染色という地場産業が存在し、明治以降、木綿から絹物へと需要が増えるにつれ、捺染中心へと移り変わってきた。「熊谷染色の歴史」(熊谷の染色を語る会S59年発行)によると、明治初年から昭和初年頃までの熊谷捺染工場の分布図には84軒もの工房がひしめいている。
成田用水や星川など、水洗いに欠くことのできない清冽な湧き水が、染色を志す人々を引き寄せたのだった。
その中で「熊谷染の先駆者」と名高いのが横田治三郎氏。当時の「横田染工場」では多くの職人を育て、「形治」(かたじ・屋号)としても知られるところだった。形治の4代目当主が横田透さんである。 |