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熊谷人物伝
明治期の埼玉県の街並みを知ることができる「埼玉県営業便覧」(明治35年発行)には川越に次ぎ、
2番目に大きな商業の町として熊谷が紹介されています。埼玉県の中心地とその機能を示す
埼玉県統計書 人口分布図
が町の力を表しています。
そんなわが町「熊谷」には創業100年を越す「老舗」がなんと100社以上あります。江戸時代、宿場町として栄えた熊谷の名残と旦那衆の心意気をそんなみなさんが受け継いでいます。商業を取巻く厳しい状況がつづく昨今ですが、ここぞとばかりの底力を発揮されている、元気の出るお店(会社)をシリーズでご紹介していきます。第3回目は熊谷市宮町にある、「柴山建設」です。 (ライター Kurihara)
熊谷の地で5代、粋でいなせな仕事師
第107回 柴山建設
(老舗訪問シリーズ NO.3)
2011年1月5日更新
柴山 勝久さん
鳶のみなさん 鳶組合創立90周年記念写真
熊谷の名所千形神社(おちかたさま)と聖公会教会のほど近くに141年の連綿たる歴史を誇る「柴山建設」がある。龍馬伝をご覧になられた方には記憶に新しいかもしれないが、15代将軍徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行なった翌々年の明治2年に柴山建設は産声を上げている。
初代は柴山二藤次、2代目久次郎、3代目福二、そして4代目の勝久さん(66才)、5代目を継ぐ勝久さん長男の朋晃さん(40才)である。代々の名前を見てお気づきかもしれないが跡目を継ぐのはいつも二男であった。4代目勝久さんの兄は隣に住み一級建築士として活躍されている。
勝久さんは昭和35年、中学を卒業した翌日から家業に入った。父・福二さんは「楽をして早く仕事ができることを考えろ」、が口癖だった。「厳しい人でしたね。仕事中でかい声で散々うなられた口だからねぇ」と勝久さん。職人気質な父親だが、仕事と休みのメリハリの効いたひとだった。時代の流れに沿い、基礎工事から足場かけ、外構など建設関係はもとより、庭木の片づけまでも気持ちよく引き受ける。
慈光寺観音堂屋根修復作業
阪東九番 都幾山 慈光寺 (東松山市)の
屋根替え作業。
「上屋」といい、屋根の上に屋根をかけ修復の段取りが進む。命綱はなく危険な作業。
熊谷鳶組合の重鎮
熊谷鳶組合は大正2年1月設立。今年で97周年を迎える。現在の会員数は105名(組合長・根岸幸次さん)。柴山勝久さんは平成17年〜20年の4年間組合長を務めてきた。昭和49年、埼玉県技能検定協会から「一級鳶(鳶作業)」で金賞を受賞している。
鳶といえば「粋でいなせな勇み肌」で言い表せる仕事師のこと。名前の由来は、江戸時代中期、破壊消防の道具である鳶口を持って火災現場に駆け付けたことからこの名が出たというが、一説では勇み肌の人が多く、肩をいからせて歩く姿が鳶に似ているからとも云われている。また、とび職の後継者らで組織する「熊谷鳶若睦会」の存在も頼もしい。熊谷鳶組合は、うちわ祭の縁の下の力持ち、なくてはならない存在でもある。
はしご乗り 高城神社にて
新春出初め式 はしごの妙技
熊谷の風物詩のひとつ、出初め式が1月6日、高城神社を皮切りに市内14か所で行われ、「まとい振り」と「はしご乗り」を披露する。高さ約6メートルのはしごの上で「遠見」「背亀」「肝つぶし」などの技が繰り広げられる。様々な技の伝承は、年に一度、関東一円から鳶が集まり習得している。
2009年の出初式の様子
2010年の出初式の様子
平成23年出初め式予定
1. 高城神社出初め式祈願祭
2. 高城神社境内奉納
3. 宮町商店街
4. 熊谷市役所前
5. お祭り広場
6. 駅前筑波中央通り
7. 熊谷駅東口ティアラ21前
12:30
13:00
13:15
13:20
13:35
13:45
13:50
8. 熊谷駅前広場
9. 熊谷駅西通り
10. 大露路・星川商店街
11. 弁天町西部振興会
12. 鎌倉町広場
13. 八木橋前広場
14. 時田工務店
13:55
14:00
14:15
14:25
14:35
14:45
14:55
取材日:2010年12月11日/取材記者:Kurihara
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