五代綱季さん(葉子さん)と
六代綱季さん(宏樹さん)
作業風景、熊谷恵比寿 |
30歳からの挑戦
六代綱季さんが家業を継ぐように母・葉子さん(五代綱季)に呼び戻されたのは30歳の時であった。学者を目指し、夢をあきらめての方向転換だったが、ニカワの匂いで目を覚ましていた幼いころからの感覚が蘇ってきた。子どもの頃、好きな彫刻の刀の削り方は祖父から教わり、職人さんの手元を飽きずに眺めていた。家業を継ぐことになった綱季さんに年輩の職人さんらは惜しみなくその技術を教えてくれた。
それからは、自分の目を養うために「古い人形」を見て回った。江戸時代に作られた人形を見るたびに先人達の技法、仕事のよさにショックを受けた。「ピンチの連続です。けれど、昔の人形師にできて今の自分にできないはずがない」、と自身を鼓舞する。
通常、山車人形一体を作り上げるのに2、3年は費やすという。ところが、1年で4体の注文を受け完成させたことがある。本来分業であるはずの人形造りを木の組み込みから完成まで全て手作業で彫り上げまで独りでこなす。お顔や髪、衣装、道具に至るまで手掛ける。その分、クオリティーも高くなりコストも抑えられるからだ。
寝食を忘れ、夜通し作業に没頭する姿に母・葉子さんの心配は絶えない。母と話すときは互いの職人気質がぶつかり合いもする。しかし、綱季さんは「一回作ったら50年〜100年は次の注文はありません。それだけに納得のゆく喜ばれるものを作りたい。人形は自分が生きた証。ものづくりをしていて良かった」と話す。仕上がった人形にはその町の人々の想いを乗せる。 |